「自信モテ生キヨ 生キトシ生クルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ」

作家・太宰治の言葉が、今も現代の人を揺り動かす。

映画「ビブリア古書堂の事件手帖」は、本を愛するビブリア古書堂の店主・篠川栞子(しのかわ・しおりこ)と、本を読まない青年・五浦大輔らがくり広げる、一冊の古書から始まるミステリーだ。

物語の鍵を握るのは、夏目漱石の『それから』と太宰治の『晩年』。栞子(黒木華)と大輔(野村周平)の関係性の変化や、大輔の祖母の若き日を描いた絹子(夏帆)と嘉雄(よしお/東出昌大)との秘められた恋が描かれる。

本作を手がけたのは、NHKでドキュメンタリーやトーク番組「トップランナー」などを手がけ、後に映画界に転身した三島有紀子監督だ。

この映画で伝えたかったことは? SNS全盛の現代、本当に多くの人に届く言葉とは何か。「現代と過去を繋ぐ場所を描きたかった」と語る三島監督に聞いた。

――昭和のシーンと現代のシーン。二つの時代の出演者は共演していないのですが、不思議なほどに自然につながっていました。一冊の本が、時を経て人の人生を揺さぶるストーリー。監督が表現したかったことは何でしょうか。

一番大きいのは、死んだ人の想いは、今生きている人に何らかのかたちでメッセージが伝わるはずだと信じているところがあります。今回は本を通じて、前にこの本を持っていた人の想いが、現代の人に伝わって、その人の生きかたが何かしら変化していく、そういうことがやれたらいいなと思いました。

太宰治の『晩年』を選んだ時点で、「自信モテ生キヨ 生キトシ生クルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ」という業の部分をやれたらいいなと思って。結局、好きなものがあるのは業、という感じがします。

大輔の祖母、若き日の絹子(夏帆)と嘉雄(東出昌大)

――監督は、舞台挨拶で「もしかしたら自分が死んだ後、違うかたちで誰かに影響を与えるかもしれません」とお話されていました。

自分が大切な人を失ったとき、たとえば私は父親を亡くしているんですけれど、父親は本当のところ何を言いたかったのだろうか、とよく考えるんですね。

父親が私にプレゼントしてくれた本があるんですが、何も言わずに手渡されたので、あのとき私に渡した意味は何だったのか、とか。父親の日記を発見して読んだりして、別のかたちで父親の考えていたことを受け取ることが多いんです。

一方で、映画も亡くなっている監督の作品から自分は大きな影響を受けていて。今生きて直接お話できる機会がなかったとしても、何らかのかたちで人の想いは伝わって影響を与えていく。そう思いながら生きていることを込めたい、という思いは強かったですね。

――映画では、野村周平さんが演じた、過去の体験によって本を読まなくなった青年・五浦大輔が、今を生きる若者を体現しているようでした。監督は、野村さんに「太陽のような存在でいてください」と伝えていたそうですね。

大輔は本を読まないし、なおかつ素直ですぐ傷つく。自分が失敗しているくせに、自分が傷ついてしまう。それもわかるんですよね。一生懸命、自分がなんとかしてあげたいという思いでやったことを、結果が伴わなくても信じてもらえなかったことに怒ってしまう。非常に現代的だと思いますね。

私の中では、栞子さんはずっと本の世界に生きている人。本に囲まれていて、ずっと本を読んでいて、あまり外に出ない。本を通して世界を知っている人なので、人と深く接触することもそんなにないでしょう。

栞子は、なんとなくビブリア古書堂の中にぽっと浮かぶ"月"という感じがしていて。ちょっと暖かい、自分の熱量をわかりやすく発信している"太陽"みたいな人が現れて、化学反応が起きていくと思ったので、(野村さんに)「太陽みたいな人でいてくれ」と言いました。

――作品では、本の手触りや存在感、古書店の佇まいの美しさが際立っていますが、映像化するうえで工夫されたことは?

ビブリア古書堂という場所が、現代と過去を繋ぐ場所であってほしいという思いがありました。ここに足を一歩踏み入れると、ちょっと現代じゃないというか、現代なんだけれど現代じゃない空間を感じてもらいたいなと。

それで、入ると木の軋む音が聞こえて、振り子時計の音が鳴っている、という空間にしました。表から見たときにも本が見えるように。壁面にも本棚をつくってもらって、どこから撮っても本棚の壁ではなくて本が見えるようにしました。

栞子さんは、一番奥のカウンターに座っているんですけれども、カウンターの下にも棚があって本が並んでいます。壁にも棚をつくってもらって、栞子さんが座ったら頭の上にも本があるように。栞子さんは常に本に囲まれているように撮れるよう美術部にお願いしましたね。

本棚の背をつくらず、本と本の隙間から栞子さんが見えるように。逆にいうと、栞子さんからは、本の隙間から大輔さんが見えるよう撮れるようにしてほしいと。とにかく、どこを切り取っても本に囲まれている空間が撮れるように設計してもらいました。

あとは、本物の本を並べてもらいました。『晩年』だけは、破ったりいろんなことをしたりするのでつくりましたけれど、他の飾ってある本は全部本物です。

――東出昌大さんが演じる作家志望の嘉雄が、原稿用紙に手書きで書くシーンも印象的です。

原稿用紙と万年筆って情報量が多いですよね。たとえば、文字をパソコンで書いたりするのと、手書きのちょっと力が入ったり滲んでしまったりするところも含めて、その人の思いを表すと思うんです。

今、文字を書く作業をあまりしなくなりましたよね? それが自然にできるように、東出さんには、原稿用紙と実際に太宰治が使っていたといわれているタイプの万年筆を用意して。撮影前に、「この原稿用紙に書くという行為が当たり前になるように、練習してきて欲しい」とお渡ししました。

――太宰治の『晩年』の「自信モテ生キヨ」。この言葉が、時代を超えて人の心の支えになっています。一方、現代はSNSを通じて、誰もが発信できる時代になりました。言葉の重みが変わってきているように思います。

かなり変わってきていますよね。文章を推敲して書くことが減ってきた。意見を書くときも、例えば記事のタイトルだけを読んだりして、中身は読んでいなかったりするなかで、事実を調べることなくその瞬間に生まれた感情のまま書いた文章で発信してしまっていると感じる事があります。

自分が投げたものというのは、必ずいろんな人を循環して、いろんな人の積み重ねをつくって、必ず社会という全体に繋がっている。そういう認識がかなり薄い感じがしますね。

自分自身は、映画で発信している責任をすごく感じているんですね。発信するものの責任は必ず伴うと思っています。それはドキュメンタリーを撮っているときもそうだし、おこがましいですけれど、自主映画を撮っているときからそうです。

何人かの人が見て、少数であってもそれを受け取れば、何かしらの影響を与えてしまう。SNSでは、みんな小さな発信者です。それを発信する責任は必ず生まれるというか、影響が生じているという認識がもう少しあってもいいのかなと思うことはありますね。

人生を大きく変えた一言ではなかったとしても、ちょっと不快なことを発したら、不快なものを受け取った人は、別のところに、SNSに限らず隣りにいる人に、不快なものを発信してしまうかもしれない。

たとえば、「クソ」という言葉を読んだとき、必ず何かの感情が生まれていると思うんですよ。それを自分が使いたくなるのか、自分が発信するときはやめようと思うのか。受け取ったときの自分の感情をじっくり見つめると、発信するときも一歩踏みとどまるのかなと。少なくとも自分はそうしています。

mishima

ーー監督は、もともとはドキュメンタリーも制作されています。ドキュメンタリーと映画などのフィクションは、制作する上で、どう使い分けているのでしょうか?

あまり違いを感じていないですね。発信者が、ちゃんと考えて、何を投げているのかを、無意識ではなくて、意識を持って考えているかどうかだけ、ですね。ニュースであってもドキュメンタリーであっても我々みたいな劇映画であっても一緒かなと思います。

もちろん表現方法は違います。私も、(NHKで)長編のドキュメンタリーをつくっていたときに、いきなり池上彰さんがやっていた頃の「週刊こどもニュース」に1年間だけ異動したことがありました。

長編のドキュメンタリーでは、実際にカメラで取材をさせてもらって編集をして、長いスパンで物事を見つめる時間があったんですけれど、週刊こどもニュースはニュースと一緒で、それをわかりやすく伝えるニュースです。短いスパンになかなか慣れなかったことはありました。

あのとき学んだのは、自分がいかに、わかっているつもりであったものがわかっていなかったか、ということ。なんとなくわかっていても子どもたちに説明できるほど自分はわかっていないことがよくわかりました。

わかっていると認識していたものは、果たして本当にわかっているのだろうか、と考え直す必要があると思いましたね。

――古書店を営む栞子も稲垣も、『晩年』の一節に助けられている。どれだけお金を出しても『晩年』を自分のものにしようとする人もいる。その思いの強さ、執着はすごいです。

マニアってそういうものですよね。どうしても欲しい。その気持ちは栞子も理解できると思うんですよね。「たかが本」と大輔は言いますけれど、栞子はやっぱり「たかが本」とは思っていなくて、本の価値を見出している人です。

栞子は、自分がその本に執着していることもわかっているから、(『晩年』の)「言葉が自分のことを言われているようで好きなんです」と。自分の業を認めているんですよね。

異常なまでに『晩年』への執着を持った人が、ひとり出てきますけれども、その人はモノとしての『晩年』が、自分にとって非常に価値があると思っているマニアであると同時に、ただ、人としても『晩年』に執着する理由があるわけです。

――大輔のような本を読まない現代の人たちが『ビブリア古書堂の事件手帖』を観るとしたら、どんな思いで観るといいでしょうか。

大輔みたいな人に伝えたいのは、最大のミステリーは人間の心の中に、ということです。

決してそれは誰が犯人ということではなくて、もっと心の奥にあるということです。この映画では、人の思いが最大のミステリーだった。生きていて思うのは、最大のミステリーは人間の心、ということ。それを観ていただければうれしいなと思います。

本を読むことは、ひとりの人生に触れるとか、面白い旅をすることだと思うけれど、今の人は多分そういう感覚でない。それだったら旅に行ったりとか、人に会ったりしたいと思うかもしれないけれど、どちらも同じくらい面白いと思うんです。

大輔は、人と会っているほうが、吸収するものがあるんじゃないかと思っている。それはそれで、人それぞれの考え方だとは思うんですけどね。でも、人と接することと同じくらいに、普通に生きていたら出会う事のない人や世界を知ることができるという意味で本を読むことも映画を見るということも、大きなものなのかなと。

映画に、栞子が、「いつも本のことばかり考えてるんですか?」と大輔にいわれて、「他に何を?」というセリフがあるんですけど、これは私が助監督に「いつも映画のことを考えてるんですか?」って聞かれて、そう答えてみんなに爆笑されたエピソードがもとになっているんです(笑)。

ちょっと間違えると、本とか舞台とか映画ばかりに偏っちゃいますけど、どの出会いも、人との出会いと同じくらい大きいことになりうるっていうことですよね。もうちょっと世界を広げようと。自分への戒めも含めて。


Source: HuffPost Japan

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